スーパー特区 [環境]
■新薬の開発に追い風か!?
■意外な問題に直面している規制緩和制度
スーパー特区というと、一見、スーパーマーケットに優遇措置が取られている区域とも思えるがそうではない。
正式名称・先端医療開発特区、通称・スーパー特区は、営利が見込めないなどの理由で開発の進まない先端医療を開発するために、支援を行う措置のこと。
地域限定で規制緩和を行う通常の特区とは異なり、先端医療の開発を行っている研究者グループを支援することが特徴だ。
開発の進んでいない分野の先端医療が開発されれば、今まで救えなかった命も救えるようになるはず。
そういう狙いのもと実施されているスーパー特区だが、新薬の認定に必要な臨床研究に、今まできちんとしたルールが課されていなかったため、規制が緩和されたからといって突然研究を進めることはできないのではないか、と各方面から厳しい指摘を受けている。
どの問題もそうだが、できそうだからといって見切り発車を行うと思わぬ問題に直面することになる。
何事も問題が起こる前の「前始末」が必要なのである。
いい加減にせい外務省 [行政]
外務省はやはりデタラメな役所だった。
海外に置いている日本大使館や総領事館の壮大なムダ遣いが明らかになった。
会計検査院が6日公表した在外51公館の調査によると、11公館が簿価にして計約22億5000万円もの不動産を使用しないまま放置していた。また3公館では年間消費量の7~29倍もの高級ワインなどの酒類を買い込んでいた。
目に余るのは、大金で取得しながら放置したままの土地・建物だ。グアム総領事館の公邸用地(約5800平方メートル)は79年に約1億5000万円で買ったのに、09年度末まで全く使わずに放置していた。
サウジアラビアの総領事館の宿舎は00年以降、老朽化を理由に使わなくなったのに土地(取得価格約9000万円)は保有したままだ。
またドイツやタイ、ペルーなどの大使館でも使っていないのに、売却のめどがないまま風雨にさらしている。
さらにイスラエルの大使館は高級ホテルの部屋を年間契約で借り上げながら年にたった50日しか使っていなかった。
ちなみに公邸にプールのある19公館のうち9公館が未使用で、テニスコートのある11公館のうち5公館では誰も使った形跡がなかった。
ワインなど酒の使い方もデタラメだ。51公館で09年度は総計6万本の在庫があったのに約2万本を新たに購入し、5万3200本近くが公邸地下の倉庫に眠ったまま。しかも2万~3万円の高級ワインが4000本以上もあった。
年間消費量の2倍以上のワインを保有していたのは14公館もあり、特に悪質なのは、パリ郊外にある経済協力開発機構(OECD)代表部。09年度には268本しかゲストに出さなかったのに、その29倍強の7900本近くが地下に眠っていた。
揚げ句は品質が落ちたとしてワインを捨てた公館も。ニューヨーク総領事館では計200万円で購入した200本近くを破棄。ドイツやオーストリアの大使館も計約850本をドブに流していた。
貧しさから抜け出す知恵を与えるヒップホップビジネス [経済]
冬季オリンピックでは、スノーボーダー国母選手の服装について世間からの物言いが付いたが、これには世代や立場の違いによって賛否両論が分かれている。
常識的な人からみれば、鼻にはピアス、ズボンを腰まで下げた彼のスタイルは“日本を代表するスポーツ選手”として不相応と感じるのは当然かもしれない。
ただし、スノーボートという種目は、米国のストリート文化の中から生まれたもので、スノーボーダーとしての道を追求していくには、彼のような異端児でなくては通用しないと言う支持者も少なくない。日本で「ストリート」は広義の“若者文化”を表しているが、米国ではもっと深い語源があり、家庭が経済的に恵まれず、十分な教育も受けられない“下層階級の若者達の間で広がった文化”という捉え方がされている。古い黒人社会の中で根付いてきた文化とも関係が深い。
最近では、日本の若者にもストリート系のファッションが流行っているが、これは、もともと米国貧困層の中から登場してきたものだ。“貧困層”という言葉の使い方には注意が必要だが、高収入で高い教養を身につけた富裕層と対峙する形で、貧民層の存在が目立つのも米国社会の特徴だ。
日本ならば、貧困=負け組という扱いをされがちだが、米国では貧困の中から様々な文化が生まれて、それを富裕層の人達が模倣したり、憧れや尊敬心を抱いていることが珍しくない。たとえば、ジャズという音楽にしても、その起源は19世紀、米国南部のルイジアナ州ニューオリンズで、南北戦争が終わった後に、軍の兵士が残していった楽器を、黒人の奴隷達が譲り受けたことで生まれ、進化していったと言われている。
やがてその影響を受けて成功した白人アーチストが、黒人音楽をリスペクトしていることを公言することで、彼らのファン達も、貧しかった黒人社会の文化に畏敬の念を抱くようになった。いまではジャズファンの大半が白人である。そして近頃では、若者達の間で、同じ貧困社会の流れを受け継いだ「ヒップホップ(hip hop)文化」が人気となっている。
ヒップホップ音楽の中で綴られるリリック(歌詞)では、米国の貧困社会にある暴力やドラッグとの関わりが赤裸々に表現されているため、一般層からは誤解されがちだが、そこにある本質は、貧しさから這い上がるために知識(知恵)を磨くことや、仲間との信頼関係、家族を愛することの大切さなどが説かれている。
米国のヒップホップは1970年代から登場してきたものだが、そこでハングリー精神や友愛の心を学んだ者の中からは、偉大な事業家として成功したり、大学教授にまで昇りつめる人までいて、“貧困”が決して負け組の巣窟でないことを示している。こうしたヒップホップ文化を支持する人達は層が厚いために、消費(購買)の行動や政治にも影響を与えはじめており、大企業や国も無視できない動きになっている。
いわゆる“貧困”をテーマとして、そこから登場してくるビジネスを掘り下げてみたいが、これは日本国内で色々と紹介されている「弱者を食い物にした貧困ビジネス」とは違い、本当の意味での弱者支援、そして前向きな反骨精神による成功モデルとヒップホップ文化との関係を解説していくことにしよう。
菅直人の不思議 [政治]
奇妙なことに、菅直人首相の政権続投には小沢一郎元民主党幹事長の不人気が不可欠になっている。
菅首相は、自民党と小沢さんの不人気に便乗して続投したと言える。一つは自民党政権に戻したくない。二つ目は小沢氏を復権させたくない。三つ目は首相がコロコロ変わるのは好ましくない。そんな世論に巧みに便乗している。
だが、このような消極的な支持では政権を担当するだけの求心力は生まれない。小沢氏がいなくなれば菅内閣はすぐにつぶれてしまうだろう。
菅首相は参院選敗北後、辞めるべきだった。彼の不用意な消費税発言で民主党は大敗した。首相に不適格という判定を国民が下したんだ。参院選は政権選択選挙ではないが、政治的・道義的責任は重い。政治空白と混乱の責任は彼にある。にもかかわらず何ら責任を取らず首相の権威を台無しにしてしまった。
菅首相は就任してから強いメッセージを発していない。「最小不幸社会」とか「元気な日本」と言っているが、まったく胸に響かない。そんなのは当たり前でどの党だって言うことだ。おそらく官僚が作った用語だろう。菅首相自身が本気で「こういう世の中を作りたい」っていうものが感じられない。
菅首相の関心事といえば、相撲で言えば土俵の整備だ。「二大政党制」「選挙制度」「クリーンでオープンな政治」とか。でも土俵でどんな相撲を取るかがはっきりしない。国にとって一番大事な経済、外交、地方が、彼の関心事から欠けている印象がある。
一貫して「霞が関政権を倒す」と言ってきて、1月の国会では消費税について「逆立ちしても鼻血が出ないほど行政のムダを搾り取る」と言い切ったのに、その舌の根も乾かないうちに消費税発言だ。彼は霞が関を倒す奇兵隊内閣などと言ったが、財務省に取り込まれて今や霞が関幕府を守る新撰組になってしまった。
政治主導だと言い訳しているけど今までの自民党の首相だってそう言ってきた。まずは消費税発言で政治空白と混乱を招いたことを反省し、消費税発言を撤回し、国民にお詫びすべきではないか。 増税への国民の理解は深まっているけれど、景気を本格軌道に乗せ、ムダを削ってからのことだ。そういう世論の底流を中途半端に解釈するから消費税発言が出るのだ。そんな判断力で政権運営するならば、国民に被害が及ぶ。
今回の民主党代表選で小沢さんの評価は変わった。「後ろで糸を引いてる」という評価だったが立候補して覚悟を示した。小沢氏は円高・株安対策、普天間問題、予算編成の3点で 菅首相に正攻法で政策転換を迫ればいい。そうすれば民主党政権が生まれ変わる余地はある。受け入れられなければ、政策抗争が権力抗争に変わり、結果として分裂・再編含みの展開になるかもしれない。
二大政党制と言っても自民党は老朽住宅、民主党は仮設住宅だ。どっちも永住する気になれない。仮設住宅は暴風雨に耐えられそうにない。ケヤキの大黒柱みたいな感じで岡田克也氏が幹事長になったが、彼の頑張りがどこまで通じるか。
ダメだと分かった政権を続ける必要はない。日本の政治はできるだけ早く歴史のページをめくって本格的な政権政党をつくる作業に入った方がいい。
デーブの小沢氏擁護の真意とは [政治]
◆菅人首相が厳しく、小沢一郎元代表がにこやかな表情。権力を持っているのが、大変で、持たないのが、安泰。何か奇妙な図式である。
報道のなかには、小沢一郎元代表がピンチで、菅首相が安泰のように伝えているけれど、これらの報道自体が、極めて怪しい。
菅首相と小沢一郎代表の会談は、小沢一郎元代表のたっての希望により、2人だけのサシで90分間も行われたので、本当のところ、何が語られたかわからないけれど、それでも、知りたいところである。
◆テレビのデーブ・スペクターさんが、日本テレビ「民放ミヤネ」で珍しく小沢一郎元代表を何となく擁護するようなコメントをしていた。それは、小沢一郎元代表の「政治とカネ」問題についての「日本国民は、もうこの問題に飽きている」「検察審査会に申し立てた市民団体というのが一体何だったのでしょうか」という発言である。
米国CIA要員だと言われて久しいデーブ・スペクターさんが、こういう発言をしたことに、日本政界の多くの人たちが、大変な衝撃を受けたことであろう。要するに、米国は、言葉だけでおカネを用意しない菅政権をすでに切捨て、おカネを引き出せる小沢一郎元代表を信用しているということである。
◆そもそも、菅直人首相が、小沢一郎元代表に対して政倫審に出るように説得すること自体、おかしなことである。というのは、政倫審は、衆院の1つの委員会にすぎず、そこへの出席をいちいち要請すること自体、おこがましい。大きなお世話である。
◆民主党は12月20日の役員会で、菅直人首相と小沢一郎元代表の会談内容について、議論をまとめ切れず、12月27日からの役員会に委ねることにしたという。これは、政倫審への出席問題以上の話が行われたことを意味暗示している。
消極的選択のゆくえと結末? [政治]
おそらくは、小沢氏が勝てば、(1)早期解散、(2)民主党の分裂、再編を招くという疑心暗鬼が、保留していた人の多くを菅支持に踏み切らせたのだろう。
それにしても、党員・サポーター票では菅氏が圧勝した。これでは、たとえ小沢氏が国会議員票を大量に獲得して当選しても、民主党代表としての正当性を疑われることになっただろう。
決意表明は小沢氏に軍配
大会での両氏の決意表明は、明らかに小沢氏に軍配を挙げざるを得ない。断固として決意が示され、政見も骨太で、良し悪しはともかく、真実味があった。
一方の菅氏は、情緒的、感傷的な話が多く、不快な気持ちも生じさせた。国会議員の職業を羅列するくだりは、特に、出席者にこびを売るような印象で好感が持てなかった。 この再選によって、菅首相の求心力が強化されるわけではない。むしろ静かな小沢ブームが生じて、政権運営は以前にも増して難しくなるだろう。
小沢氏は当面、人事より政策によって菅首相に転換を迫っていくはず。(1)円高・株安対策、(2)来年度予算編成、(3)普天間移設問題の3つが大きな政策争点になっていく 小沢氏は200人の支持勢力を背景にして強硬に菅首相を追い詰めていくだろう。そして、菅首相がそれを拒めば、政策抗争が権力抗争に発展していく可能性もある。求心力のない菅首相が政権を運営していくことはきわめて難しい。
「首相がコロコロ代わる」のは民主党と菅首相自身の責任
今回の菅氏の勝因は、小沢氏の不人気と「首相がコロコロ代わるのは好ましくない」とする世論が味方したこと。これに異存はないだろう。 しかし、民主党議員が「首相がコロコロ代わるのはよくない」を理由にして菅氏を支持するのは実におかしい。自分たちが立派な代表を選ばなかったから代わるのだということに気がつかない。
特に菅首相がこれに言及するのは不見識この上ない。彼は「1年で3人も首相が代わってもいいんですか」と街頭で絶叫していたが、菅首相が立派に政権を運営しているなら「コロコロ代わる」ことにはならない。コロコロ代わるのは、民主党の責任であり、菅首相自身の責任。有権者相手に話すことではないのだ。
心配なのは、党員・サポーター票で圧勝したことで、首相が世論の積極的な支持を受けていると勘違いすること。それより、遠くの人(党員・サポーター)に支持されて、近くの人(国会議員)の信頼が弱いことに深く留意すべきだろう。今の姿が支持されたと錯覚すれば、政権の前途は決して明るいものではない。
小沢斬りに“国民のほとんどが嫌気 [政治]
来春の統一地方選の前哨戦として注目された茨城県議選は、12月12日に投開票され、民主党の歴史的惨敗に終わった。
民主党は公認・推薦合わせて24人の候補を立てて、6人しか当選させることができなかった。
出口調査によると、いわゆる無党派、浮動層が民主党から離れた。要するに、昨年の政権交代の原動力となった人たちが民主党を見捨てたことになる。おそらく官民の労組から強力な支援を受けた人がかろうじて生き残ったのだろう。
党執行部をはじめ関係者は、「政治とカネ」、特に小沢一郎氏の政治資金問題が最も大きな影響を与えたと認識しているようだ。
本当にそうだろうか。
確かに「政治とカネ」は敗因の1つには違いない。しかし、それよりも民主党の政権担当能力、菅直人首相の適格性が厳しく問われた結果だと思う。
12月11、12日の朝日新聞の調査では、菅内閣の支持率は、前月(27%)から6ポイント落ち込み21%となった。不支持率はついに60%に達した。
「年内にも20%台」と予想してきたが、それ以上の勢いで低落している。
「政治とカネ」を格別に重視する岡田克也幹事長は、13日の役員会で「幹事長一任」を取りつけ、小沢氏の衆院政治倫理審査会への招致に強い意欲を見せている。そして、菅首相も遅ればせながら、岡田幹事長の意向に同調する姿勢を見せた。
だが、“小沢斬り”はそれほど大きな政権浮揚をもたらさないだろう。一時的に支持率低下に歯止めがかかっても決して長続きするものではない。
なぜなら、菅内閣の急激な支持率の低下は「小沢排除」の体制の下で生まれたものだ。小沢氏よりも菅首相自身の責任に帰せられるものである。
岡田幹事長の愚直に突き進む姿勢は好感が持てるし、国民的人気もうなぎのぼりになっている。だが、小沢氏を政倫審に呼んだり、あるいは離党勧告、除名という展開になっても、それが政権人気をV字回復させるほどのものにはならない。
たとえ、菅首相が“小沢斬り”に成功しても、それが反小沢派を勢いづかせる段階はとうに過ぎている。
今は、「民主党内のゴタゴタ」という受け止め方が多くなり、「どっちもどっち」と見られるようになってきているのだ。
「民主党内のゴタゴタ」に国民のほとんどは嫌気が差している
考えられる最も激しい展開は、(1)岡田幹事長が小沢氏に政倫審出席を要請、(2)小沢氏はこれを拒絶、(3)政倫審が小沢氏の出席要請を議決、(4)小沢氏が出席を拒否、(5)民主党が小沢氏に離党を勧告、(6)小沢氏はこれを無視、(7)小沢氏を除名。
岡田幹事長が突進すればここまでは一本道だろう。そうでなければどこかで矛を収めることになる。(5)の離党勧告の段落に至れば党内抗争は修復しがたいドロ沼状態になる。そうなればほとんどの人が「民主党内のゴタゴタ」に嫌気が差すだろう。
菅首相は、代表選後の「小沢抜き政権」で大きな成果を挙げる他に浮揚する方法はなかったのである。
菅首相は、「これまでは仮免、これからが本免許」と言ったようである。
仮免は無免許と同じこと。なぜ最初にそれを言わなかったのか。無免許とわかればその車に乗る人はいなかった。
日本政治の選択肢 [政治]
―小沢一郎の復権―
永田町がきな臭くなってきた。まだ生きていたのか、読売グループのドン・ナベツネこと渡邊恒雄が錆びついた大連立を持ち出して、谷垣自民党総裁らと会談。
すっかり影が薄くなった目立ちたがり屋の政治家・舛添要一が小沢・鳩山会談に続き、菅総理と会談するのはともかく、世界一の部数を自慢するナベツネが政界のフィクサーとして暗躍するのはいかがなものか。
最近、メディアの世論調査が何かと幅をきかせるという傾向が強まっているが、ナベツネが天下の讀賣の世論調査を意図的に操作することだって朝飯前ではないかという疑念をもたれかねない行動だ。メディアの経営者は現実政治に口出しすべきじゃない。これがメディア人の基本原則じゃないのか。
ナベツネの企みは、民主党と自民党が大連立することで国政を安定させようとの思いがあるのかもしれないが、本音は憲法改正を急げ!ということだろう。
これじゃ、選挙で選ばれた民意を全否定することと同義ではないか。ドンの所業はよけいなお世話である。政権交代を果たした民主党が菅―仙谷体制になって、公約をどんどん破って右傾化を強めているのは紛れもない事実である。
民主党・菅内閣が財界や財務省を中心とした霞ヶ関官僚との一体化を進め、親米従属路線こそが政権安定の途だと考えているようだが、これはおよそ国民が期待した政権交代の理念とは完全に逆ベクトルの第二自民党路線でしかない。
仙谷官房長官や馬淵国土交通大臣に対する参議院での問責決議は放置したまま、小沢一郎の政治倫理審査会への出席を求める岡田幹事長も気の毒な立場ではあるが、検察審査会による強制起訴が確定しているのだから、司法の場で明らかにするという小沢側の言い分は真っ当ではないのか。
司法の場に移った案件に関しては、「裁判との絡みがあるのでコメントできない」とうのは誰が考えても常識的言い分だ。
民主党が決議で小沢招致を決めても、本人が拒否する可能性も高く、除名処分問題にも発展しかねない。それで民主党が分裂したら一体誰が喜ぶのか。
普天間移設では、沖縄県民の意思を無視して突っ走る北沢防衛大臣の先を読めない岡田幹事長批判の方がよほど真っ当ではないか。
政権交代直前から、小沢一郎や鳩山由紀夫に対する霞ヶ関や米国の既得権益派の反発は強かった。CIAによる露骨な介入も囁かれたほどである。
政権交代はそういう旧勢力と対峙し、それを一掃する千載一遇のチャンスだった。しかし、検察権力を使った国策捜査による新政権潰しの執念は凄まじかった。鳩山、小沢を潰し、日米両政府にとっては操りやすい菅総理―仙谷ラインによって親米派の閣僚や党執行部体制が着々とつくられてきた。
ほくそ笑んでいるのは霞ヶ関官僚であり、米国政府である。先に書いたナベツネの大連立構想は、政治主導を掲げた民主党の発想を根底から潰す行為である。その際、邪魔になるのは小沢一郎というのが、日米両政府の共通認識のはずだ。
菅―仙谷は操りやすいが、小沢は一筋縄ではいかないということだ。情けないことに、大手メディアは既得権益を死守するために、日米両政府に寄り添う二人三脚路線を選択している。
政権交代の理念を実現するためには、明確な政治主導を実現できる信念を持つ小沢の復権しか選択肢はないというのが自分の持論である。
裁判は裁判で徹底抗戦すれば必ず勝てるはずだ。
永田町のネジレ国会、政権争いの醜さにはうんざりだが、それを乗り切る政治力とリーダーシップを持つ政治家が他にいるというなら、ぜひ教えてほしいものだ。
ルサンチマンの塊・仙谷官房長官の策謀の方がよほど危険極まりない。
最低限の政治知識さえ持たない日本国民 [政治]
官僚システムの大変換で変わる
このように考えていくと高潔な政治主導などというものは幻想でしかないことがわかろう。やはり次善の策として日本は官僚機構にもっとがんばってもらわないとダメなのではないだろうか。そこで政治主導のエネルギーを一点に集中する必要があると考えている。
すなわち政治主導で官僚のインセンティブ構造を変えるのである。官僚は少なくとも多くの政治家よりも専門知識は優れていると思われる。また継続的に何十年も政策に関わるので、その点でも政治家より実務に精通することになる。何が問題かというと、現状では官僚が自らの利益を追求することと、日本を豊かにしていくことが大きく乖離してしまっていることである。
官僚は公務員であるため皆同じ給料を受け取る。民間業者から何らかの利益供与を受けると非常に厳しい刑罰が待っている。そのような制約条件と年功序列の人事制度の中で合法的に自らの利益を最大化しようとすれば、自らの所属する省庁の権益を少しでも大きくすることに専心することになる。許認可、規制を駆使し管轄する業界を巧妙に支配する。
天下り先となる様々な公益法人を設立しそれらが未来永劫庇護されるように法改正を巧妙に進める。こういったことは日本国民の利益に著しく反しているが、だからといって官僚が道徳的に堕落しているわけではない。知的能力に多少なりともすぐれいている者が、その能力を自身の利益のために最大限利用すること はむしろ当然のことであり、官僚とてその例外ではない。
現状の制度で官僚組織が腐敗するのは化学の実験で石灰水に二酸化炭素を吹き込めば白濁する、というのと同じような自然現象である。官僚が自らのキャリアで自らの利益を追求する行為が、国民の利益に一致しなくなってしまっている現状の制度こそが問題なのだ。聖人君子でないとうまく回らないシステムなら、それは制度設計そのものが根本的に間違っているのである。よって官僚のインセンティブを切り替える必要がある。
シンガポールの官僚制度などを参考にするといいかもしれない。キャリア官僚は省庁単位ではなく、政府で一括採用して、省庁間の人事異動を活発にする。これで「省益」を第一の優先事項とする弊害がなくなる。そしてボーナスをGDPの成長率などに連動させ、いい経済政策を実行すれば天下りなどしなくても経済的に報われるような制度にする。解雇を自由化して人材の流動性を高め、民間からも優秀な人材を活発にスカウトする。
いずれにしても天下り官僚が何千万円も退職金を貰って許せないから、それを「政治主導」で法律で禁じようなどという浅薄な発想ではダメだ。国民の利益と官僚の利益を一致させるように官僚機構のインセンティブ構造を設計し直す必要がるあるのだ。その一点において、なおも「政治主導」に微かな期待をいだいている。 (終わり)
最低限の政治知識さえ持たない日本国民 [政治]
資質のない政治家を選んだのは国民
なぜ政治主導はダメなのか。あるいは無理なのか。一番の理由は多くの政治家に能力がなく、何の専門知識も持ちあわせていないことだ。確かに志、道徳心、正義感などといった資質を筆者は否定するわけではない。しかし一国の政策を主導するために当然に持ち合わせていないといけない政治、経済、法律などの専門知識をほとんどの政治家が持ちあわせていないという事実を、志や道徳心などで補えるわけではない。
柳田前法務大臣が自らの専門知識の無さを冗談でいったところ辞任に追い込まれたが、実際にはほとんどの政治家が柳田氏以上に自らの職務を行う専門知識を持ち合わせていない。そういった専門知識を持ち合わせていない政治家が、政治を主導したところで何も生まれないか、むしろ悪化させるだけである。だから政治家は官僚に頼らざるをえないし、選挙に関係の無い政策は官僚に丸投げなのである。
次の理由は国民に政治家を選ぶ能力がないことである。上記のような資質のない政治家を選んだのは国民であり、ほとんどの国民は日本を理解し日本をよくするための最低限の知識すら持ち合わせていない。ここで正攻法で物事を考えるならば、国民を教育により啓発し、国民一人一人に日本をよくするための知識を身につけさせ、民主主義政治への参加を促し、それにより真に能力と志のある政治家を選ぶことを目指すということであろう。
しかしそういった正攻法は絶望的だと思っている。多くの大衆は無知であり、その無知さを改めることは非常にむずかしいことを身をもって学んできた。他の身近な例をあげれば、駅前のパチンコ屋はいつも混んでいることだ。パチンコをする経済合理性は全く無く、また娯楽としてもあんなに受動喫煙の激しい店内で長時間座っていることなど想像を絶する行為だ。パチンコをやめることによってほとんどの人の人生がよりよくなることを確信しているが、それにもかかわらずパチンコ屋に通う人は後を絶たない。
このように人間の愚かさを示す例は枚挙に暇がない。この間、たまたま見ていたニュース番組で、就職活動中の女子大生がインタビューに答えて「菅首相が(一に雇用、二に雇用、三に雇用といって)雇用対策をしてくれているので期待したい」といっていたのを聞いて、絶望的な気分になった。
労働組合を支持基盤とする民主党政権は、既得権を握った大企業の正社員を守るためにひたすら労働市場を硬直化させる政策をとっており、その結果として非正規社員や彼女のような新卒の求職者にしわ寄せがいっているという極めて簡単な因果関係を、自らが求職者という当事者であるにも関わらず全く理解していないことが、簡単なインタビューの受け答えで浮き彫りになったからである。
そして日本の大学生は彼女のような人ばかりなのである。おまけに選挙にもいかない。選挙にいくのは、規制や補助金などにより利権を保持している政治と深く結びついた既得権益層ばかりだ。
このように愚かな国民が選ぶ愚かな政治家が「政治主導」と叫んだところで、やはり愚かな結末しか期待できないだろう。自分も、国民を少しでも啓発しようと思い、ブログなどを書いてきた。しかしそんなことは焼け石に水であり、ほとんど何の成果もなかった。
人間の愚かさは非常に安定しており、普遍的なものだと思わなければいけないだろう。宝くじのようなビジネスがなくならないことを考えてもそのことは明らかだ。確かに一部の人々は賢明になりうるが、この世界には次から次に愚かな人が生まれてきて、愚かな人がいなくなるということは決してないし、愚かな人が常に社会の大部分を構成するのである。(続く)
最低限の政治知識さえ持たない日本国民 [政治]
政治主導をあきらめる
民主党が「政治主導」を旗印に掲げ、2009年7月の衆院選での歴史的な大勝利によって戦後初の政権交代を実現した。そして、それから1年半の月日が過ぎ去り我々日本国民はこの「政治主導」というものにひどく落胆することとなった。もともと大きな期待はしていなかったのだけれども、それでもまさかここまでがっかりさせられるとまでは想像できなかった。
鳩山由紀夫を最初の首相とした民主党政権は、確かに当初は「政治主導」であったと思われる。しかしその政治主導はひどいものだった。反米、反市場のイデオロギーと、小泉純一郎に対する嫉妬の入り交じった憎悪に突き動かされていた鳩山政権は、次々と日本を誤った方向に導いていこうとした。今となっては、沖縄の普天間基地の問題、郵政再国有化など、当時の鳩山政権が政治主導でやっていたこと、やろうとしていたことの多くがひどく間違っていたことは誰の目にも明らかとなった。確かに国民は日本に充満する閉塞感を打ち破るために民主党の「政治主導」に期待し、民主党に投票し、政権交代を実現した。しかしその政治主導が現状をより悪いものにするならば、当然、現状維持の方がマシである。
かくして鳩山由紀夫は辞任に追い込まれ菅直人が首相になった。菅直人は良くも悪くもサラリーマン家庭に育った普通の人であり、民主党のスローガンであった「政治主導」は跡形もなく忘れさられ、いつもどおりの官僚が統治する国に戻ってしまった。官僚が意思決定し、産業界と根回しの終わったことを各省庁の大臣、そして首相が追認するという、お馴染みの日本の統治構造である。それでも悪い方向にひたすら走っていく鳩山政権のような政治主導よりは、現状維持の官僚主導の方がいくらかはマシであると考えている。
我々は民主主義の国に住んでいる。議院内閣制の国に住んでいる。そこでは選挙により国民により選ばれた議員が、そして議員によって選ばれた首相が組成する内閣が政策を決定するべきであり、官僚機構はあくまで内閣をサポートする政治的中立な組織でなくてはならない。
そのような意味で「政治主導」は理念としてはどこまでも正しい。ただ公務員試験でいい点数を取っただけの官僚が日本の政策を主導する正統性などどこを探しても見当たらない。しかしながら理念としては完全に正しい「政治主導」というものをあきらめる時期に来ているのではないかと考えている。日本はやはり官僚主導でしか蘇らないのではないかと思いはじめているのである。(続く)
アレルギーを引き起こす意外なモノ9種類 [生き方]
何かに反応してアレルギー症状が起こると、くしゃみや鼻水が出て涙が止まらなくなり、時には頭痛が伴ったり、皮膚に発疹ができてしまったりします。
原因としては花粉やペットの毛、ホコリが一般的ですが、もっと意外なものが症状を引き起こす場合もあるということです。
原因がはっきりしなくて症状が改善しない場合、これから挙げる9つの要素も原因として疑ってみてもいいかもしれません。
詳細は以下から。
1:チョコレート
多くの人が好んで食べるチョコレートですが、人によっては、花粉症であるにも関わらず、春に花粉舞い散る野原に立っているのと同じくらい強いアレルギー症状が生じる可能性があるものだということです。
ある内科医によると、「チョコレートは鼻の神経系を刺激する場合がある」とのことで、偏頭痛のような症状が出ることもあるようです。
チョコレートは赤ワインやグルタミン酸ナトリウム、熟成したチーズなどと並んで偏頭痛の原因となることもあるようなので、偏頭痛持ちの人も気をつけてみるといいかもしれません。
2:くもりの天気
太陽が雲に隠れてしまうような日には、何となくゆううつな気持ちになったりしますが、アレルギーとの関係を疑うことはまずないと思います。
しかし、温度や気圧の変化がアレルギー症状を引き起こすことがあるそうです。
鼻の痛みや頭痛に襲われると風邪にかかっているのではないかと思いがちですが、天候の変化によるものである可能性もあります。
3:ストレス
さまざまな身体的・精神的疾患の原因とされるストレスですが、アレルギーにも関係があるとのこと。ストレスを感じるとヒスタミンを含む化学物質に触れた際の生理的反応を引き起こし、アレルギー症状につながることもあるようです。
ストレス自体にはアレルギーを引き起こす作用はないのですが、別の要素によるアレルギー症状を悪化させることがあるという研究結果も出ています。
4:精子
精子によってアレルギー反応や呼吸困難が引き起こされ、最悪の場合死に至るケースもあるそうです。アメリカでは4万人の女性がそれに該当すると言われています。
体の免疫系が精子に対して過剰反応して、白血球が精液中のタンパク質をバクテリアまたはウィルスのような有害物であると誤認し、攻撃を始めてしまうのが原因です。
対策としては性交の際にコンドームを使うことはもちろんですが、症状が現れたらすぐに病院に行くことが肝心です。
5:携帯電話
個人差はあれど、ほとんどの人が長時間触れていること携帯電話も、アレルギーの原因となることがあるようです。
通話中、ちょうど携帯が当たるほほの部分に発疹ができる場合、携帯本体に使われていることのあるニッケルに反応しているか、あるいは単なる接触皮膚炎であることが考えられます。
対策としては、携帯電話をこまめに除菌できるウェットティッシュなどでふくのが一番手っ取り早いです。
それでも解決しない場合は必須脂肪酸、亜鉛、ビタミンDおよびプロバイオティクスなどの栄養が不足しているために皮膚が敏感になっている可能性があるので、食生活を見直してみてください。
6:ワイン
アレルギーを起こす人にとっては、ほんの少しワインを飲んだだけで皮膚が真っ赤にはれたり、インフルエンザのような症状が現れるそうです。
しかし、これは正確にはワインではなく発酵した際に発生するイースト菌や亜硫酸塩、フェノール、あるいはブドウ自体にアレルギー反応を示していることがあり得るとのこと。
また、免疫系がワインの中のタンパク質に過剰反応するケースもあるようですが、この場合ワインを初めて飲んだ時やその後数回は何も起こらず、回数を重ねて免疫系が敏感になってから発症するようです。
7:香水
例えば会社で特定の同僚の近くに行くと目が熱くなったり、その人の席を通りがかるとくしゃみが出るようであれば、あなたはにおいに敏感なのかもしれません。
花粉症に代表されるアレルギー性鼻炎ですが、鼻の神経系が刺激物に過剰反応することで起こるため、香水がその原因となる場合もあるようです。
海外では、アレルギーを引き起こす可能性を理由に、香水の類を禁止する会社もあるということです。
8:観葉植物
観葉植物は部屋の空気をキレイにしてくれるイメージがありますが、実は花粉症の症状を引き起こす可能性があるようです。
最近くしゃみと鼻水が止まらないという人は、1~2日くらい観葉植物を部屋の外に出してみて、症状が改善するかどうか様子を見てもいいかもしれません。
また、ランやクワ属の植物、シダ植物はアレルギーを誘発しやすい植物だということです。
9:太陽
先ほど、くもりの日はアレルギー症状が出るという項目がありましたが、かといって晴れていれば安心というものでもないようです。「太陽アレルギー」と呼ばれ、発疹が現れる人も中にはいるようです。
症状が出るのはやはり太陽の光に対して免疫系が過剰反応するためだということで、ローションや飲み薬などがそれをさらにひどくすることもあるとのこと。太陽アレルギーが疑われる場合、医師に相談して処方薬を変更するのも対策のひとつです。
TPP参加で迫られる自民党時代の「負の遺産」の清算 [経済]
菅首相が進めるTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加で迫られるのが、自民党政権時代の「負の遺産」の清算だ。
すべての物品の関税を完全に撤廃し、域内の貿易や投資の自由化を目指すTPPは、日本の農業を崖っぷちに追い込む危険性が高い。
例えば米国から農産物を輸入する場合、コメなら788%、牛肉なら38.5%の関税がかかっている。
これが全部ゼロになれば、米国産のコメや豪州産の牛肉との価格競争に敗れ、廃業せざるを得ない農家も出てくる。日本の農業が壊滅的な打撃を受ける可能性も否定できない。
しかし、新しい形の経済ブロック化という保護主義に弾かれず、それなりにリーダーシップを持ち続け、国際競争を勝ち残るには、関税の撤廃は避けて通れない道だろう。多角・無差別な自由・互恵の「WTO理念」とは本質的に異なる考えが台頭する中、国内農業の保護を目的にした関税障壁を温存させるのは難しくなっている。
菅首相が前のめりになるウラには、TPPをAPEC議長国の実績としたい思惑があるようだ。普天間移設でギクシャクした日米関係を修復したい外務省が、米国の意向を受けて根回ししたとの見方もある。ただ、動機は不純でも、第2次大戦後に築いてきたグローバル体制が、抜本的に変わってきているのは確かだろう。
われわれ国民も頭を切り替える必要があるが、その前にやらなければならないのが、農業政策の“仕分け”だ。
自民党政権は、生計を立てるために山間僻地(へきち)で細々とやっているお年寄りの稲作農家と、中国などの富裕層向けに輸出し儲けているブランド米の生産者を一緒くたに保護してきた。
しかし、介護や医療施設が少ない地域の農家には、豊かな老後を過ごせるような政策が必要だし、国際市場で勝負できる農産物をつくっている農家には、競争力を高めるための政策が必要だ。ほとんどの農家が加入している国民健康保険や国民年金の充実も欠かせない。そうした手当もなしに関税の撤廃をやれば、バタバタと倒れる農家が続出することになる。
民主党が進める戸別所得補償制度は、方向性として間違っていない。菅首相には、目先の人気取りだけを考えるのではなく、新しい時代に対応した農業政策を急ピッチで整備してもらいたい。
ICTの時代!? [経営]
―今までの情報技術に加えて必要なものとは?―
ある企業のテレビCMで、“これからはITではなく、ICTの時代。”
なんてことを言っていますが、この、何やら聞きなれない「ICT」という言葉。
一体、どんな意味がこめられているのでしょう?
気になるので調べてみたところ、ICTとは、Information and Communication Technologyを略したもので、今までのIT(情報技術)に、コミュニケーション(この場合は共同性)というテーマを加えていこうという動きがある、ということらしいです。
要はネットワークを通じて、情報を共有化する…。
今まで線だったものが、網になるといったイメージでしょうか。
たしかに、インターネットは、web2.0へとステージを移すと同時に、一気に情報の共有化が進んでいきましたが、他の情報技術にも共有化という要素が入ってくる、ということなのでしょうか。
難しいことはよくわかりませんが、現在、政府でもICT産業で何十万人もの雇用を創出しようという試みを計画しているようです。
テーマとして「ICT」を取り上げさせていただきましたが、正直、それほど言葉自体に覚える意味はないと感じました。
大事なことは、しっかりと連携をとること。
昔から大切にされていたことをITにも。
そういうことなんだと私は思います。
100円パソコンのカラクリ [経済]
最近、家電量販店の店頭で100円のパソコンが販売されているのを見たことがある人も多いのではないだろうか。値札を見た客は「100円でパソコンが買えるなんてウソみたい」と驚くが、いろいろな機能を詰め込んだ新品のパソコンが100円で本当に買えるのだろうか。
結論から言うと、100円でパソコンを購入することはできる。が、ある条件付きだ。その条件とはデータ通信サービスとのセット商品であるということだ。たとえばイー・モバイルのモバイルブロードバンドサービス『スーパーライトデータプランにねんMAX』に新たに加入し、かつ2年間継続して利用するという条件をクリアしなければ、ユーザーは100円でパソコンを購入することはできないのだ。
またパソコン本体はもともと5万円程度の小型の「ネットブック」が主だが、持ち運びには便利であるものの、他の新モデルのパソコンと比べると性能はそれほど高くはない。
2年間の継続利用が条件ということだが、ではその期間の出費はいくらになるのか。データ通信の月々の使用料は利用量に応じて2900円~6880円に設定されているので、最低でも2年分、69600円(2900円×24ヶ月)の負担が生じることになる。
しかも契約時にはパソコン本体100円のほかに、手数料として2835円を負担が発生するので、100円ぽっきりでパソコンが手に入るということではないようだ。
100円パソコンのからくりを知って騙されたと感じるユーザーもいるかもしれないが、とは言っても損するわけでもなさそうだ。
パソコンを利用するほとんどの人はインターネットを使うので、どちらにせよブロードバンドサービスを利用することになる。もし新しくネット回線の導入を考えている人ならば、その分がイー・モバイルへの月々の支払として考えればお得なプランとも言える。
同社のブロードバンドサービスを利用する場合には、ネットブック単体が5万円前後であることを考慮すると、100円パソコンをセットで購入した方が2年間トータルで実質2万円ほど安くすむ。
ビジネスの仕組みとしては1円で販売されていた携帯電話と似ているが、購入者にとっては初期費用として高額な資金を負担する必要がないのがメリットだ。そのため見た目の安さとあいまってイー・モバイルへの加入者は毎月数万件から多い月では10万件を超えるほど伸びを見せており、100円パソコンは人気商品へと成長している。
ただし実際に購入する際には、他のブロードバンドサービスの月額料金と比較したり、自分が求めるパソコン本体の性能をネットブックが備えているかなど、よく確認してほしい。
3D元年 [報道]
禁煙 [生き方]
ORIMOの調査によると、「タバコ増税を知っていますか」と尋ねたところ、「知っている」は68.2%と半数を超えた。年代別に見ると、上の年代ほど認知率は高くなっている(20代60.4%、30代69.1%、40代72.4%、50代74.7%)。
次にタバコ増税の賛否について聞くと、「賛成」が63.0%、「反対」が25.2%、「分からない」が11.8%と賛成派が多数を占めた。
賛成、反対の理由を具体的に尋ねると、賛成意見では「税収アップにつながる」「欧米の金額に近づけるべき」「未成年の喫煙防止につながる」などが挙がり、反対意見としては「タバコ業界がつぶれる可能性がある」「喫煙率が大幅に下がり、結果的に税収は下がると思う」「増税よりもマナー違反者への罰金を強化してほしい」といった声が挙がった。
タバコ増税を前に、各社が10月からの新価格を発表している(マイルドセブン300円→410円、マールボロ320円→440円など)。
喫煙者に「タバコが1箱いくらになったら禁煙を検討しますか?」と聞くと、「禁煙を検討する(禁煙する+禁煙を検討する)」の割合は「400円」で50.2%、「500円」で74.2%、「600円」で82.9%だった。増税後、多くの商品が400円を超えることになるが、それによって半数以上の人は禁煙を検討することになりそうだ。
インターネットによる調査で、対象は20歳以上の男女1347人(うち喫煙者は392人)。調査期間は7月9日から13日。
―国民の税金官房機密費― [政治]
鈴木宗男元内閣官房副長官が語る
政府側で、官房機密費を配る側の議員の手記で、官房報償費の裁判の証拠に提出できるかと思い、興味深く読んだ。この雑誌で唯一読む価値がある記事である。
鈴木宗男元議員が次のように語っている。
1 1998年(平成10年)小渕内閣の時(官房長官は野中広務)の時に官房副長官に就任。当時に内閣参事官から毎月200万円のカネを『領収書も何もいらないカネです。ご自由にお使い下さい』と言って受け取った。
このカネを政治活動に使うのであれば、収支報告書に届ける必要があり、個人として使うのなら、個人の所得として確定申告をしなくてはならないという。
2 当時は前例踏襲として、歴代の内閣総理大臣(中曽根、竹下、橋本、宮沢)に盆暮れに1000万円。国対委員長に月1000万円が支払われた。
3 年4回の自民党の役員会、年2回の閣僚懇談会に額面50万円の背広の仕立券を配布。1回の会合で約1000万円、年間で合計6000万円を使った。
4 1998年(平成10年)11月の沖縄県の知事選に3億円を官房報償費から捻出して選挙に投入。
5 1999年(平成11年)キルギスで日本人技師が4名武装勢力に拉致された。現地から300万ドル(約3億円)が要求され外交機密費から支出した。しかし、このカネは当時の大統領のフトコロに入り、ゲリラには入っていないことが言われている。同時に、現地でこの交渉に当たったキャリヤー外交官は、連日宴会を行い、この20間で80万円の「小遣い」を貯めた外交官もいたという。
6 中東の某国高官からイランが保有していた北朝鮮のノドン弾道ミサイルの詳細な構造図が入った。鈴木氏はこの入取に官房報償費を支払ったと書いてあるがいくら払ったかは書いていない。官房報償費が国益になる場合として例示している。
7 官僚達が「機密」の名のもとに、食い散らかした宴会費もあると指摘している。
鈴木氏の手記で、当時の自民党時代の、官房機密費の実態の一部が明らかになった。しかしこの手記ではおよそ、月1億4千万円にはならない。未だ隠された実態はあると思われる。
安倍官房長官時代の大阪地裁の官房報償費の裁判で、国会議員、元内閣総理大臣への支出はあるのかとシツコク尋問したが、千代総務官は全て証言拒絶した。このような実態では総務官レベルの官僚では正直に証言できない理由がやっと判った。
仙谷官房長官は「機密費の話題を意図的に避けている」と鈴木氏が指摘している。仙谷長官は、今でも月1億円の官房報償費を使っている。
就任してから約6億円も使った計算になるが、ダンマリを決め込んでいる。
近いうちに仙谷官房長官の官房報償費の情報公開裁判を提訴予定。
マスコミも仙谷長官の≪暴力装置≫発言を鬼の首を取ったかの如く報道しているが、ダンマリを決め込んでいる仙谷長官に官房報償費の支出について、シツコク報道する方が重要であろう。
自分達の先輩記者が自民党時代に官房報償費を貰っているので、追及が鈍る気持ちが判らないでもないが、それでは、記者魂が泣くというものだ。
胸を小さく見せるブラ [生き方]
ワコールが「胸を小さく見せるブラ」をネット通販だけで売り出したのが、4月下旬のこと。これがバカ売れした。
初回販売分は1週間で完売、「主力品の発売直後の同期間と比べ12倍以上だ」(日経産業新聞2010年7月16日付1面より)という。
しつこいようだが、胸を“大きく”見せるブラの間違いではない。
わざわざ“小さく”見せるためのブラである。
「おかしいではないか」とストレートに異議申し立てに走ってしまうのは、自分がおっさん思考にはまっているからだろう。
ブラと言えば、大きい人はそれなりに、小さい人は少しでも大きく見せるために、あるいはフォルムを美しく整えるために、が常識だと思っていた。
しかし、そうではないのである。その証拠に、小さく見せるブラは売れている。
一時は在庫がなくなり次第、販売終了とも言われていたようだが、8月には、豊かなバストをコンパクトに見せるブラジャー『CuCute(キュキュート)』が発売された。小さく見せたいニーズは確実に存在するのだ。
●「小さく見せたい」ニーズは4位
このブラが開発された背景には、ワコールが実施している調査結果がある。
調査によると、バストを小さく見せたい人が全体の1割程度いたようだ。
ニーズ順位でみると4位だったらしい。
既成概念にとらわれていれば、その思考回路は次のようになるはず。
すなわち、「あえて、バストを小さく見せたい人などいるはずがない」→「実際に調査結果でも1割しかいない」→「その程度のニーズに応えて製品化しても、採算ラインには乗らない」。
しかし、ワコールで、この製品開発に関わった担当者は、まったく違う考え方をしたのだろう。つまり、「調査で1割もの人が、バストを小さく見せたいと思っているのなら、その背景には、もっと多くのニーズがあるかもしれない」と推測したのではないか。
偉いのは、そうした発想に基づく製品企画を通すワコールの社風だと思う。
●ユニセックスからの転換
ともかく、小さく見せるブラはヒットした。
これを受けてネット限定通販ではない商品『CuCute(キュキュート)』も発売された。ワコールとしては、通販での売れ行きにかなりな手応えをつかんだからこその展開だと思う。
ここで考えてみたいのは、「バストを小さく見せたい」ニーズの背景にあるかもしれないパラダイムシフトについてだ。ここから先は、完全に筆者の独断と偏見に基づく仮説である。
少し前に「ユニセックス」なる言葉が広まったことがあった。その本来の定義は、男性らしさ、女性らしさをあえて誇示するのではなく、男女どちらでも着ることのできるファッション、といった意味合いだったと思う。
これは中性的と表現しても良いだろう。 注目したいのは、そのニュアンスである。ユニセックスからアグレッシブさを感じることはない。あくまでも中立的というか、無色透明というか。流れにたゆたうようなイメージである。
●アンチ、あるいはアグレッシブな時代へ
しかし、バストを小さく見せるのは、ユニセックスのようなノン・アグレッシブなスタンスではないと思う。中性的イメージで良しとするのではなく、あえて誇張するなら「女性性」の否定、とすると言い過ぎだろうか。
そう考えると、男性サイドに見られる変化にも納得がいく。いわゆる「草食系男子」の出現である。草食系男子の定義はいろいろあるようだが、共通するのは、従来の若い男性に潜在的につきまとっていたガツガツとした「男性性」の否定だと思う。
つまり、「今はユニセックスからアンチセックスへの移行期ではないのか」と仮説を立ててみた。男性は男性らしく、女性は女性らしく、という考え方のおおもとにあったのが生存本能だとすれば、その転換期といってもいいのかもしれない。
●価値観の転換期
「だから、今は価値観の転換期なのだ」と言い切るのは、飛躍がありすぎるとは思う。
しかし、少なくとも日本では、従来の価値観が崩れている(崩れつつある?)ことだけは確かではないだろうか。
例えば、いま50歳を迎えている筆者にとって、日本が世界第2位の経済大国ではなくなることは、世界観の転換を強いられるぐらいにはショッキングな出来事である。
あるいは、最近話題になった事件だけではなく、全体的な印象として、親による子ども殺しが増えていることも。
教育格差の話の中で取り上げられる「学ばないことに価値を見出す子どもと保護者」がいることもそうだ。
ブラジャーの話から、えらく飛んでしまったが、今の日本をこれまでの価値観が大きく揺らいでいる社会ととらえると、風景の見え方が変わってくるのではないだろうか。
戦後65年 伝えたい記憶 [生き方]
■当時20歳の山本七三さん(86)=和歌山市 その人の姿をみたときから、戦況の悪化を身にしみて感じるようになったと記憶している。
関行男大尉。昭和19年10月25日、「神風特別攻撃隊」の先駆として、フィリピン・レイテ沖で米空母に突入し、特攻第1号とされた人だ。
台湾・台南の基地で、「あれがここの分隊長だ」と戦友にいわれ、目にした関大尉は背筋がピンと伸び、キビキビとして歴戦の勇士といった風だった。 ある日、「帽(ぼう)フレー」と号令がかかり、関大尉を見送った。
あとで、「いよいよ飛行機乗りは体当たり攻撃らしい」とうわさしあった。
翌20年4月、沖縄へ迫る米軍を阻むため、戦艦大和による水上特攻が遂行された。
この作戦で大和の操舵(そうだ)員だった兄の亀雄=当時(36)=が戦死し、紙切れ一枚になって嫁や幼子のもとに帰ってきた、と聞かされたのは戦後帰国してからだった。
兄の亀雄と最後に会ったのは小学4年のころ。すでに海軍軍人だった兄は、「仏印にでもいって商売で一旗あげてこい」と行く末を案じた。
その言葉どおり、商船学校に進んだが、昭和16年12月に太平洋戦争が開戦。18年3月に海軍に志願した。その後、長距離爆撃機の九六式陸上攻撃機の搭乗整備兵として台湾に着任。そこで特攻に出撃する関大尉の姿をみたのだ。
このころは、ベテラン搭乗員も戦闘機も払底し、搭乗員歴わずか数カ月で、続々と実戦配置された。
離陸はできるが着陸ができない。滑走路に突っ込んで、そのまま地上に激突する者も少なくなかった。
消火器をもって駆けつけると、搭乗員は首が飛び、傷口から血がホースでまく水のようにあふれてくる。
それが戦争末期の前線だった。
長距離爆撃機に搭乗していたが、米軍に制空権を奪われたこのころは、特攻機の目的地への誘導や輸送艦の護衛などが任務になっていた。といっても数機を従えるていどだった。
「これでは勝てん」というのがすでに口癖となっていた。
疑問には思っても、軍隊では命令には逆らえない。帰りを待つ嫁もいないし、せめても「お国のため」と出撃。「きょうも命ながらえた」と、帰りはだだっ広い太平洋上にただ1機、高速の敵機が突っ込めないよう、海面スレスレに高度を落とし、基地にもどる日々が続いた。
そして、20年5月15日、朝鮮の元山基地で待機していたときに「本土決戦」に備えて、特攻命令が下された。
敵戦闘機に比べて速度や運動性能が劣る爆撃機での特攻。命令を受けて、写真とともに、辞世の句を故郷の和歌山に送った。
「散って甲斐ある命なりせば 比島の海に血染む屍(しかばね)我は征くなり 祖国の礎となりて」 しかし、特攻の機会がないまま終戦を迎え、南下してきたソ連軍に抑留、帰国できたのは3年半後だった。
戦争がなければ、水上特攻で死んだ兄の言葉どおり、商売で一旗あげていただろうと思う。
海で散った兄と空で死ぬはずだった自分。
ともに特攻隊員として必死で戦った思いは一体何だったのか。ときおり海辺の宿にこもり、ひとりごちる日々が今も続く。
◇ ■昭和20年4月7日、戦艦大和による沖縄への水上特攻から生還した当時21歳の北川茂さん(86)=三重県名張市 昭和19年末、南方で所属艦が沈み、帰国後あこがれの戦艦大和に着任した。誇りを胸に艦隊勤務についたが、沖縄へ出発直前に特攻を命ぜられる。
みな、むちゃは承知だったが、『国を守るため』と、思いを胸に秘し最後まで沖縄に行くつもりで戦った。
大和では艦橋トップでの伝令。階下の指揮所では伊藤整一司令長官や有賀幸作艦長らが指令を飛ばしていた。
刻一刻、その声に緊迫度が増した。舵(かじ)をやられ、船体が大きく傾きながらクルクル回り出した。
持ち場は5階建てのビルの高さで飛び降りることもできない。
作戦の中止命令からほどなく、巨大な船体が横倒しになり、ようやく海中に投げ出された。
海中に閃光(せんこう)が走り船体が爆裂し、その力で海面に押し上げられた。
金魚すくい [生き方]
金魚の末路
今も昔も変わらず夏祭りの定番といえば「金魚すくい」。水槽の前にはポイを片手に、紙が破れないように一匹でも多くすくおうとする子どもたちの姿を目にします。が、ちょっと気になるのは、お祭りが終わった後の金魚たち。一体どこへ行くのでしょうか。
「業者は近くの川に捨ててしまいます。一度仕入れた生き物は、余ったからと言って返品はできませんので、その露天商がすべて引き受けなくてはなりません。露天商は池等の飼育環境は持っていませんので、例外を除いてほとんどの金魚は捨てられる運命となります」
「熱帯魚屋さんが買います。ピラニアさんや大型魚の晩御飯となります」
「捨てる人有り 買取してもらう 他の露天に回す 小学校に寄付」
なんだか酷い話ばかりですが、他の露店に回されたり小学校に寄付されたりするのであれば、ちょっと安心かも。
また、お祭りといえばこの生き物…
「最近見かけなくなりましたが、カラーひよこも同じでしょう。卵を産まないオスばかりを選び色々な色を付けて売っていますが、餌も与えることなく、売れ残った物はしばらくで処分されます」
真偽のほどはわかりませんが、結局は販売者の判断次第といったところでしょうか。近年、こうした生き物の取り扱いについては、動物愛護の観点から賛否両論があるようです。一時期はよくゲームセンターなどで、伊勢海老やハムスターなどを景品にするクレーンゲームを見かけましたが、最近はほとんど目にしなくなりました。
露店で金魚をすくったがどうすればいいのか。生き物に対する責任は、売り手と同様にすくった人にも生じることを忘れないでいたいものです。体験談を読んでいると、金魚すくいの金魚を長く飼っている人は結構多いようです。
不思議の国
日本在住とみられる中国人ブロガー、朔客さんが自らのブログに「日本で生活していて不思議に思うこと」と題する文章を掲載、中国人の視点で日本の不思議なことを10カ所、指摘した。
記事は第10位として、「車の騒音を増すために、100万円以上かけて改造する人」を挙げ、日本人の多くは車の排気音が大きくなればなるほど格好いいと感じるため、車を改造する人が多いと紹介した。
続けて、第9位として「果物や野菜は肉類よりも高い」とし、中国では果物や野菜が高く、肉類が高いのに対し、日本では果物や野菜は安価な鶏肉よりも高いことが多いことに驚きを示した。
第8位として「警察や公務員は普通の人であり、本当の意味で公僕である」と指摘し、日本では警察や公務員の一般人に対する態度はとても丁寧であると紹介した。
さらに第7位として「山間部にクマがいること」を挙げ、人間がクマに襲われるニュースがたびたび報じられることに驚きを示す一方、クマを殺すことは違法であると紹介した。
つづけて、記事は6位に「気温が摂氏0°Cなのに、体感温度はとても寒い」。
4位として「動物愛護が浸透している」。
3位「自殺、過労死が頻繁(ひんぱん)に発生する」と主張した。
さらに、第2位として、「政治の話や国家指導者の話を気軽にできること」を挙げ、テレビで政治家を批判していることに驚きを示した。
つづけて第1位として、「賢く巨大なカラスがいること」を挙げた。記事は「日本に来たばかりの中国人は誰もがカラスの大きさに驚く」と紹介、賢いうえに人を恐れない日本のカラスに驚きを示した。
東大コンプレックス [生き方]
コンプレックスとは、もともと精神医学用語で、「怒りや悲しみなどの強い感情や体験、思考が、無意識的に結びついている状態」である。しかし、日本では、単にコンプレックスといえば、劣等感のことを意味することが多い。
東京大学という存在は、それが知的な権威を象徴しているために、日本社会の時空に奇妙な歪みをもたらし、関わる者すべてに、元の意味でのコンプレックスを抱かせる。東大に行きたくて行けなかった人が、東大卒に劣等感(これもコンプレックスの一種)を抱くことがある。だが、実は東大卒自身もすべからく東大コンプレックスを持っているのだ。
東大卒は、偏在している。霞ヶ関のようなところには、掃いて捨てるほどいる。ところが、いないところには全くいない。東大卒としては非典型的な非エリート人生を歩むと、東大卒濃度の低い場所をずっと通過して行くことになる。普通にしているつもりでも、東大卒であることが知れると、あれこれ言われることを避けられない。
大学に最初から行く気がなかった人たちは、単に物珍しい動物を見たような、乾いた好奇心を示すだけだ。
「今日は面白いものを見た。あれがうわさの東大卒か」という感じである。これはどうということはない。しかし、大卒の一部の人たちからは、粘っこい嫉妬に似た感情を感じるときがある。これにはやや参る。
東大卒の人の大半は、似たような不愉快な経験をしているだろう。彼らはまず自分から東大卒と明かすことはしない。東大卒の人間は、常に自分が東大卒であることを意識せざるを得なくなるのだ。これが東大卒が抱く東大コンプレックスである。
東大卒の人に劣等感を抱いてしまう人がときどきいるが、本当に残念なことだと思っている。東大の入学試験は確かに難しいし、入学できる人たちは、試験勉強の達人であることは間違いない。しかし、試験で測れるのは人間の能力のごく一部である。市場経済は、実に多様な才能の結合を要求している。学校では劣等生だったのに、社会に出てから成功して金持ちになったりする人たちがいるのは、不思議でもなんでもない。
だが、現実には、東大卒が「よい会社」に就職しやすく、社会的地位も収入も高い傾向があるとすれば、それをうらやむ人が出ても仕方ないことなのかもしれない。学歴(学校暦)というものは、その人の潜在能力を推測するためのシグナルとして機能している。一度、社会で既成観念が成立すると、大学の序列がなかなか崩れないのは、日本に限った現象ではないのかもしれない。
米国の有名大学の出身者は、コンプレックスを抱くのだろうか?ハーバード大学出身であることを表明するのにためらいを感じたりするのだろうか?だが、米国は、日本よりは人を測るモノサシがずっと多い国なので、日本のような湿った雰囲気にはならないような気がする。
おとなりの韓国は、日本と良く似た大学の序列があるので、ここでも有名大学の出身者はコンプレックスを抱かざるを得ないのかもしれない。本当は、皆がお互いの才能・能力を認め合い、低く見ることも羨望することもなく、対等の立場で付き合っていけたら一番いいと思うのだか、日本ではなかなか難しい・・・。
大本営発表 [行政]
「大本営発表」って言葉、聞いたことありませんか?
戦争中、日本が負けているのも関わらず「敵艦4隻大破の大戦果。帝国の勝利は間近!」みたいな感じで、嘘っぱちを流し続けていた政府の公式発表のことです。
たとえば昭和18年の「ブーゲンビル島航空戦」の時は、日本の惨敗だったのにも関わらず、「撃沈5隻、大破8隻。大勝利!」なんて発表されていたんだそうです。
当時は、今と違ってインターネットなどはありません。情報は完全にコントロールされていました。政府・軍部だけでなく、NHKをはじめ、戦後コロッと態度が変わった新聞も大本営発表を堂々と流していました。それじゃあ、みんな信じますよね。鵜呑みにした多くの若者たちは戦地に向かい、死んでいきました。それも戦死ではなく、食糧補給がいい加減だったせいで、餓死が多かったそうですが。祖父が戦死した筆者としては、心苦しい話です。
ここから「大本営発表」は、「全く信用できない嘘八百の公式発表」という意味になりました。そして現在では「発表をそのまま書くこと。質問は一切受け付けない。」という一方的な形の会見なども、「大本営発表」というようになっています。
最近では、沢尻エリカさんが芸能界に復帰するときに、事前に「都合の悪いことは書かない。事前に確認すること。余計な噂話は書かないこと」などの「6カ条のご誓文」をマスコミ各社に送って話題になりました。この時は「沢尻エリカの大本営発表」なんて言われましたね。
戦争中多くの若者を騙し殺した「大本営」ほど重くもなく、沢尻エリカさんほど軽くはありませんが、実は現在でも悪質な「大本営発表」は存在します。
それは、警察による「交通事故死の発表」です。ここ10年近く「交通事故死は減少中。一時は一万人超えていたのに、ついには5000人割れ!」なんて報道を目にすることありませんか? 主導しているのは警察で、それを報道しているのは新聞などです。軍が警察に変わっただけで、やってることは変わりません。
実は、これらの数字は全くの嘘。あまりにヒドイために、警察庁の発表とは別に厚生労働省も「実際の死者数」を発表しているくらいです。たとえば、平成17年は警察庁の発表は6,871人だったのに対し、厚生労働省発表は1万飛んで28人。約1.5倍も違います。
しかし、話題になるのは、なぜかいつも警察庁の発表ばかり。厚生労働省もいろいろ不祥事が相次ぐなど、叩けば埃の出る身体だから警察庁に気を使っているのでしょうか。別に「実際の死者数」が誤魔化されていても、厚生労働省にとっては、数多く発表している統計上の数字の一つですから、あまり目くじらを立てないのでしょう。
それに対して、警察庁が発表する「交通事故死」は、自身の権威に関わります。なぜかと言うと、警察庁自ら「交通安全基本計画」を約5年に一度立てていて、それに沿って成功していると見せたいからです。戦争中の軍部が「計画」に合わせて、不自然な「戦果」を発表し続けたように、現在の警察も現実ではなく常に「計画」に合わせて、交通事故統計を操作して発表し続けています。
その計画と実績を見ると、不自然なまでに、計画の数字と一致するような「実績」が報告されています。どんなトリックを使っているのでしょう。
たとえば、よく問題視されるのは「24時間」です。これは、警察庁が数字を誤魔化すために使用している時間の枠組みです。「交通事故で亡くなった方」の定義ですが、警察庁によると「事故から24時間以内に死亡した人限定」です。私たちの感覚で言えば、交通事故に不幸にして遭い、病院に運ばれ、2日、3日後に亡くなった人は、やっぱり交通事故で亡くなったんだと思います。しかし、それは数には入れません。警察庁として、そういう方たちは決して発表用の「交通事故死」ではなく、「それ以外」の何かになります。そして人々に、よく分からせないまま、除外しています。
このように、単に数字を減らすために「24時間以内に死んだ時だけ数に入れる」という操作を行っています。厚生労働省の「交通事故死」は、「事故後1年以内に亡くなった人」という定義なので、警察庁の発表と3,000~4,000人も異なるんですね。こっちの数字の方が、現実そのものと思いますけど。
これが「死者激減」のトリックで、ハッキリ書くと
・医療の進歩によって、なんとか1日(24時間)程度なら延命できるようになった。
・それ以降の死者は頬かむりして、数字に入れない。
という操作をして、激減を演出しています。
警察庁の発表を見ると「警察の交通指導のお陰で死者激減」などと書いてありますが、全く警察は関係ありません。
それどころか、実は交通事故は増えています。よく「過去最悪」と引き合いに出される「交通事故死者数1万6,765人」を記録した昭和45年。その昭和45年を100とすると、平成19年には 交通事故は116、負傷者は105です。最悪の年より、事故も負傷者も増えています。実際に平成5年から平成21年まで、17年連続で事故発生指数が100を割ったことはありません。
常に「最悪の年」より、事故は多く起きています。最悪だった昭和45年代と比べるためか、昭和50年代の事故発生指数は60~70前後の年が多くなっています。たとえば昭和51、52,53年はそれぞれ66,64,65です。ところが、平成15,16,17年は、それぞれ132,133,130です。そう、実は「交通事故は減った」どころか、安全だった昭和50年代と比べて2倍近くにまで事故は増えています。平成18年以降、ちょっと発生数が下がってきましたが、これは飲酒運転の厳罰化が影響していると言われています。それでも指数は「最悪の年」より悪いままです。「最悪」より悪い「超最悪な現状」。
つまり警察の発表とは裏腹に、どんどん悪くなっているというのが現実かもしれません。それに「人を轢いたのは分かったけど、怖くなって......」という形で、2キロ以上引きずったまま走行したとか、悪質な事件も増えてますよね。
大本営がまかり通っている現在のニッポン。なんでも鵜呑みにするのは危ないですね。
生物界もビジネス界も「強い者は生き残れない」 [経済]
素数ゼミ(正式には周期ゼミ)とは北米にのみ生息するセミで、土の中で13年もしくは17年もの長い年月を過ごし、成虫になる。定期的に何十億匹というセミが大量発生し、周囲を騒音の渦に巻き込む。その謎を「素数」をキーに世界で初めて解いたのである。
素数セミの祖先はもともと、毎年発生するごくありきたりのセミだった。だが、新生代の氷河期に入り、成虫になるまでの期間が通常なら7年のところ、10年、15年と延びていく。だが、過酷な環境で長い幼虫期間を生き延びて羽化したとしても、交尾相手が少なければ絶滅してしまう。そこで、出会いを確実にするために周期を持ったセミが突然変異で出現し、瞬く間に広まった。
かつては12~15年の周期のセミがいたという。だが、周期の違うセミで交雑が進むと、周期に乱れが生じてくる。周期にバラつきが出れば、オスとメスの出会いの機会も減る。そこで他の周期を持つ種と交雑する機会が少ない、13年、17年周期のセミが結果的に個体数を維持し、絶滅を免れたというわけだ。
そんなセミのサバイバル術を見事に解明した。約40億年もの時を経て、生物はいかに生き残り、いかに滅んでいったのか。人間という生き物も含め、「進化とは何か」を問いかける壮大な一冊だ。
適応能力が強すぎると環境変動に弱い
生存or絶滅の分かれ目は「環境の変化という不確定要素にいかに順応できるか否か」という「環境変動説」を唱える。
〈気の遠くなるような長い年月、生命(遺伝子)というバトンを渡し続けている生物は、決して「強い者」ではないという事実である。今、この惑星に生き残っているのは、「環境の変化に対応して生き残ってきた者たちだった。(中略)そして、「いかに環境の変化に対応するか」でもっとも有効な方法のひとつが、「他者と共存すること」なのである〉
現代の進化論=総合学説では、「強い者=適応度の高い者(ある環境に最適化した者)」が生き残る、とされている。だが、長期的に種が存続していくためには「強さ」よりも、どんな環境にも「そこそこ」適応できることが大切だと主張する。
説明をもとに私なりに噛み砕いてみると、x、y、zという3つの遺伝子型があるとして、寒さに強い順(適応能力の高い順)がx、y、zだと仮定する。逆に暑さに強いのはz、y、xの順とする。
極寒の気候が続けば、適者生存の総合学説からいって勝ち残るのはxだが、どこかで環境が一変し気温が異常に上がったとすると、今度はzが勝つ。つまり、極寒から酷暑へと環境が変化すると、生き残る遺伝子型はxからzに変化することになる。
だが、毎日の天気を見れば分かるように、現実には暑い日もあれば、寒い日もある。そうやって寒暖が交互にやってくる場合には、寒さに強く暑さに弱いx、もしくは寒さに弱く暑さに強いzは、絶滅する可能性が大きい。長期的な視野に立てば、暑さにも寒さにもそこそこ強いyが最終的には生き残る。
また、シジュウカラはたくさん卵を産み育てる能力があるにもかかわらず、能力以下の少ない数しか卵を産まないことが実験から分かっている。毎年、子孫を最大限に産んでいたら、旱魃で虫が少ない年を迎えたときに、エサ不足で子供がすべて育たないばかりか、自分の命さえも危うくなる。ゆえに環境がどう変化しても絶滅しないで済むよう、産む数は「ほどほど」にとどめて、余力を残しているという。
つまり、生物は生き延びるために「子孫を最大限に増やすこと」より「細々とでも存続できること」を優先させてきたのだ。
不確定性に満ちた環境から受けるリスクをできるだけ減らす――そのために、生物は移動(渡り鳥など)、休眠、体温や湿度調節、巣作りなどの進化を遂げてきた。なかでも共生関係を築いて環境に対抗するという方法は、古くは古細菌と真正細菌の群生といったものから熱帯雨林などの共生生態系まで、あらゆる時代を通じて有利だったと力説する。
利己的な振る舞いは破滅の道
では目下、人間という生物はどうふるまっているだろうか。
人類が環境に圧力をかけ始めて1000倍から1万倍もの高い率で絶滅が起きているというのが研究者間での一致した見解だという。人類による環境破壊によって引き起こされている事態は、これまでの生物史の5大絶滅に匹敵する「第6の大量絶滅」と言われている。およそ「共生している」とは言いがたい状況だ。
生物の歴史は、拡散適応(繁栄)と絶滅の繰り返しである。そのサイクルを文明にもなぞらえる。社会が安定し繁栄を極めると、人々は集団の利益よりも個人の利益を追求するようになる。協力するよりも利己を追求したほうが、個人が手にする利益が大きくなるからだ。
だがそうして集団内に利己者が増えていくと、やがては協力体制が機能しなくなり、革命か衰退によってその集団は自己崩壊していく。そして現在の「ファンド資本主義」も、利己者が増えていく「破滅の道」だと指摘する。
「水槽と池」の話をしていた。水槽にミジンコと魚を入れたら、魚がミジンコを食べ尽くし、ミジンコは絶滅する。だが、池のなかをみてみると、100種や200種もの生物が同一環境で共存している。多様性を確保しながら共存することが「実はいちばん強い」と語っていた。
ビジネス書などにはよく、利他行動は「めぐりめぐって自分の利益になる」なんて話が書いてある。だが実は、「利他的もしくは利己的にふるまうか」という話は、そんなのんきな次元の話ではなく、「絶滅するか/しないか」という、とてつもなく緊張感溢れる話だったのだ。
共生か、絶滅か。これまでの文明の栄枯盛衰を振り返る限り、人間が持続可能な道へ方向転換できるかは、かなり怪しい。このまま崩壊に突入するのもまた、生物の理かもしれない。
できることなら共生して、存続の道を歩みたいものだ。だが、金融危機後も懲りずに「ラクして1億円儲ける!」みたいな利己追求本が大量に並んでいるさまを目にすると、そうそう楽観的にもなれないなあ、と、正直思うのだった。
天下り・公務員制度改革 [政治]
人事院は月内に人事院規則を改正し、所管関係にある民間企業への公務員出向対象を審議官級の幹部職員まで拡大する。天下りあっせん禁止による人事滞留の解消が狙いだが、民間からの派遣も受け入れるため、民主党政権が掲げる公務員総人件費の削減効果は見込めない上、出向拡大による官民の新たな癒着が生じる危険性も指摘される。
人事院がまとめた規則改正案によると、民間への出向を解禁するのは局次長や部長、審議官、出先機関トップら。局長、官房長、長官、事務次官ら本省局長級以上については従来通りの制限を維持する。
国家公務員の身分のままで派遣され、給与は企業側が支給する。派遣期間は原則3年以内で、改正案は「派遣からの復帰後も公務部内で継続して勤務させる」としている。
また、民間への派遣ができなかった特許庁の審査官も
(1)2年以内に審査した企業ではない
(2)公務の公平性を確保できる
-の基準を満たせば派遣を容認する。
国家公務員の民間出向は、官民の相互理解や行政運営の活性化を狙った官民人事交流法に基づき平成12年から実施されている。ただ、人事院規則に従い、所管関係にある企業への出向は中堅・若手の係長、課長補佐クラスらが対象で、強い行政権限を持つ審議官以上の幹部職員は、所属省庁が許認可権などを持つ企業には、権限と無関係の局に所属していても出向することができなかった。
だが、政府が天下りあっせん禁止を決定しながら人員削減を棚上げしたため、各省庁では今後40代後半~50代前半の審議官級職員がだぶつく公算が大きい。
このような状況を受け、政府は6月に「公務員の退職管理基本方針」を閣議決定し、役員出向が可能な独立行政法人や特殊法人の数を拡大するなど外部ポストの確保を進めてきた。
政府には、出向による人件費削減効果を期待する声もあるが、官民人材交流で平成21年に民間出向61人に対し、民間からの受け入れは157人で超過状態となっており、人件費削減にはつながっていない。
天下り天国の再来 [行政]
参院選直前の6月22日、菅内閣が国家公務員の「退職管理基本方針」を閣議決定したことは案外知られていない。しかし、これを許せば、表向き「天下りの根絶」を訴える民主党が、逆に「天下りし放題」を公認することになり、到底許されるものではない。
みんなの党は、先月、政調会長、国対委員長レベルでその「撤回」を申し入れたが、回答はなしのつぶてだ。それもそうだろう、この問題は政府の閣議決定に関わるものであり、党ではなく内閣の問題だからだ。にもかかわらず、私が幹事長として仙谷官房長官に面会を求めても「党とやってくれ」との拒否回答、この「霞が関とともに歩む政権」は、撤回などまったく考えていないらしい。
この「方針」の最大の問題は、独立行政法人の役員ポストなどへの現役出向の拡大にある。要は、「退職して再就職」なら、あっせんがあれば天下りとなるが、「退職せずに現役で出向」という形をとれば、天下り規制はすり抜けられる。いわば「現役の天下り」の容認ということだ。そして、定年間際で役所に一旦戻し、そして退職させる。民主党のいう「定年まで勤務できる環境条件の整備」がこれで実現できるということだろう。
この「現役出向」は、実は天下りへの風当たりが強まった2004~5年頃以降、役所が目立たないように自主的に進めていたやり方で、今回の方針は、それを白昼堂々、政権がお墨付きを出して進めていこうというものなのだ。
おまけに、鳩山政権時、独法役員は公募するという方針を決めたが、この「現役出向」の場合は、その例外扱いにするという。しかも、対象は、公益法人や特殊会社(JR、NTT、道路会社、日本郵政等)にも拡大された。何をかいわんや、である。
この「現役出向」は、今夏の役所の定例人事異動等で、今後、どんどん「玉込め」されていく。一日も早く「撤回」「凍結」しなければ、「既得権益」として固定化し、数年間は変えられないものだ。早急な対応が求められるのである。
さらに、この方針では「高給窓際ポスト」の創設まで認めた。すなわち「新たな専門スタッフ職の創設」だ。局長・部長級の職員が、そのポストを離れた後座れる「上位の職制上の段階を創設」とされており、本来退職すべき局長・部長級の定年までの処遇ポストである。年収千数百万円が想定されているという。
天下りの大きな弊害は、天下り先と役所との癒着や、そのポストを確保するための無駄な補助金や許認可、団体の維持であった。その意味では、高位のポストにある官僚の現役出向は、天下りと同等かそれ以上の弊害が懸念されるし、「高給窓際ポスト」を増やしていけば、民主党が約束した「国家公務員総人件費の2割減」など「夢のまた夢」に終わるだろう。
これに対しては、新規採用の4割減とあいまって、辞めないお年寄りの官僚が滞留する「頭でっかちのいびつな組織構造」になると、同じ霞が関、若手官僚からも怨嗟の声があがっている。当然であろう。
すべては、民主党政権が、公務員への労働基本権付与による民間並みの人員整理と、給与法の抜本改正による「能力実績主義」による給与体系を導入しようとしないことに問題があるのだ。
政治のおもちゃー消費税 [政治]
参院選が近づく中で、消費税増税を巡る議論や報道が盛んになっています。支持率への悪影響を気にした民主党の菅総理や閣僚が発言内容をどんどん後退させているのは論外ですが、そもそも間違った議論が横行していますので、今週はそのうち特にひどい二つの問題を取り上げてみたいと思います。
一つは、消費税増税なしにプライマリーバランス(基礎的財政収支)の回復は不可能なのか、という点です。
政府が6月22日に発表した「財政運営戦略」を読むと、“消費税増税”という直裁的な表現はありませんが、いかにもそれなしには財政健全化は不可能というトーンを盛んに醸し出しています。しかし、それを真に受けてもいいものでしょうか。
「財政運営戦略」には、“政府は、新成長戦略の目標とする経済成長率を達成するために全力を尽くす。一方、財政健全化の道筋を示すに当たっては、慎重な経済見通しを前提とすることを基本とすべきである。”という表現があります。
ここで言う“慎重な経済見通し”とは、同日に内閣府から発表された「経済財政の中長期試算」に描かれている“慎重シナリオ”を指していますが、このシナリオが異常なまでに慎重なものとなっています。
まず、実質成長率が小泉時代の実績よりもかなり低く見積もられています。2023年度までずっと1%台です。日本経済の潜在成長率が1%程度であることを考えると、政府は成長率を高めるような経済運営はしないと宣言しているに等しいと言わざるを得ません(その一方で2012年には慎重シナリオでもデフレ脱却を想定しているというのは、ちょっと理解に苦しみますが)。
そうなると名目成長率も低いままで推移しますので、税収も当然あまり増えませんから、基礎的財政収支の改善ペースも緩やかとなります。
菅内閣の迷走 その3 [政治]
財政再建は、既存事業の優先順位づけ
最後に、予算編成のポイントを示したい。まず、シーリング(概算要求基準)を明確に決めること。次に、マニフェストの予算化に徹底的にこだわることだ。財源論でマニフェストを安易に断念するのは愚の骨頂であり、まずマニフェストに財源を付けるのだ。逆説的だが、これが厳しい予算規律実現の第一歩となる。各省庁がシーリングを守るために既存事業の合理化に手を付けざるを得なくなるからだ。
そして、誰もが必要だと認める既存事業の間に優先順位を決めることだ。「事業仕分け」などで削減できる無駄な事業はそれほどの規模にならない。必要な事業の優先順位付けこそ財政健全化の鍵だ。
自民党政権期には、内閣府などの省庁横断型の審議会で有識者の意見を「権威」として、さまざまな既存事業の間の優先順位を決めることができた。
財務省主計局は予算編成の際に、例えば科学技術政策なら「総合科学技術会議」、社会保障政策ならば「社会保障構造の在り方について考える有識者会議」などの決定事項を「権威」として利用しながら、各省庁との交渉を行った。
一方、鳩山内閣の予算編成は、経済財政諮問会議の廃止やその他の審議会の議論が停止したことで混乱した。財務省主計局が「権威」を盾に各省庁の予算要求を抑えられなかったからだ。
現在も、各審議会の議論は活発ではなく、各省の「政務三役会議」や「各省政策会議」も、事務方が挙げてきた政策をただ承認しているだけのようだ。政務三役が過重労働すぎて、限られた財源の中で政策の優先順位を戦略的に決めるような議論をする余裕がないのだ。
財政健全化のために、既存事業の優先順位を明確に決めるためには、民主党議員以外の幅広い人材を排除せず、幅広い議論を行う場を作り、その決定に「権威」を与えることだ。端的に言えば、菅政権は「国家戦略局」構想をあきらめるべきではない。







